Hello, 歴史大好きアンジェラです。
英国歴代の統治者の中でも、ヘンリー8世は一二を争うほど有名な王様ではないでしょうか。
ヘンリー8世といえば6人の妻。妻を捨てるためにイングランド国教会を作り、世継ぎを生まなかった王妃を次々に処刑したというイメージが定着してしまっていますが、最凶最悪とされるのは実はかわいそうなのではないかと思っています。
ヘンリー8世と6人の王妃
Catherine of Aragon キャサリン・オブ・アラゴン
1番目の王妃キャサリン妃は、もともとヘンリー8世の兄、アーサー王子のお妃でした。キャサリン妃は16歳でアーサー王子と結婚しましたが、たった5か月で、アーサー王子は病気で亡くなってしまいました。
いろいろ問題があってもめましたが、血縁関係を強固にするため、また、支払いの完了していなかった持参金を確保するために、弟のヘンリー8世との婚約が決まったのですが、ヘンリー8世は当時まだ11歳でした。
ヘンリー8世の成人を待って7年後の1509年に結婚した時は、ヘンリー8世が18歳、キャサリン妃は24歳になっていました。
こうして、ようやく結婚生活が始まりましたが跡継ぎに恵まれず、王子を期待されている重圧の中で、どんなに辛く苦しかったか想像するだけで胸が痛みます。
- 1510年 死産
- 1511年 生後52日で夭逝
- 1513年 死産または夭逝
- 1514年 死産
- 1516年 メアリー1世出産
- 1518年 死産
跡継ぎの重圧は、王妃だけでなくヘンリー8世自身にも重くのしかかっていました。
ヘンリー8世は、賢くて人臣にも人気がある年上のキャサリン妃を頼りにしていましたが、同時に嫉妬もしていました。若造扱いされたくない年齢になり、チューダー朝を安定させるために焦り、すべてを「呪われた結婚」のせいと思い込むようになりました。
ヘンリー8世には愛妾がいましたし、認知された庶子が一人、認知されなかった庶子も複数いたと言われていますが、2番目の妃となるアン・ブーリンとの関係が始まったと言われている1525年頃には、キャサリン妃は子どもは望めない年齢になっていました。
最終的にキャサリン妃との結婚を「無効」(離婚ではない)としたのは(出来たのは)、結婚から24年後の1533年、ヘンリー8世41歳、キャサリン妃が47歳の時でした。
キャサリン妃はそれから3年後の1536年に亡くなりました。当時から毒殺の噂がありましたが、近年の研究で死因は癌だったことがわかっています。
婚姻期間:24年
Anne Boleyn アン・ブーリン
2番目の妃アン・ブーリンは、エリザベス1世のお母さんです。1533年にヘンリー8世と結婚し、エリザベス1世を設けましたが、その後、男の子に恵まれず処刑されてしまいました。
跡継ぎを産まなかったら処刑なんてひどい話です。ですが、ブーリン一族はアン・ブーリンの地位を利用して宮廷で権勢をふるっていたため政敵もたくさんいました。
アン・ブーリンはエリザベス王女を出産した後、3回流産してしまい、一族は跡継ぎの王子を笠に着て政敵を抑えることが出来なくなってしまいました。アン・ブーリンと共に5人が処刑されています。一族内も一枚岩ではなく、処刑判決をアンの伯父にあたるノーフォーク公が下しています。
婚姻期間:3年
Jane Seymour ジェーン・シーモア
3番目のジェーン・シーモアとは、1536年、アン・ブーリン処刑の翌日に婚約し、その10日後に結婚しています。この辺りが、ヘンリー8世が最悪な夫と呼ばれる理由かと思います。
ジェーン・シーモアは1537年にエドワード王子を3晩かかって産みましたが、出産から12日後に亡くなってしまいました。
ヘンリー8世の嘆きは深く、ヘンリー8世はその死後、ウィンザー城のジェーン・シーモアの隣に眠っています。
婚姻期間:1年5ヶ月
Anne of Cleves アン・オブ・クレーヴズ
4番目の結婚にヘンリー8世は乗り気ではありませんでしたが、ジェーン・シーモアの死から数年後の1540年、政治的な思惑と周囲の勧めでアン・オブ・クレーヴズと結婚しました。
正式に無効となったのは6か月後でしたが、結婚はなかったこととされ、アン・オブ・クレーヴズは「王の妹」として住居と生活費を与えられました。
婚姻期間:6カ月
Catherine Howard キャサリン・ハワード
1540年、49歳のヘンリー8世はキャサリン・ハワードと結婚しました。はっきりわかっていませんが、キャサリン・ハワードは当時15~19歳くらいだったと言われています。キャサリン・ハワードはアン・ブーリンのいとこにあたり、アン・オブ・クレーヴズの女官をしている時に、ヘンリー8世の目に留まりました。
結婚式は、アン・オブ・クレーヴズとの婚姻を無効とした19日後で、当日はトマス・クロムウェルがひそかに処刑されている日でもあります。やっぱり最凶の王様かも⁈
ですが、翌年にはキャサリン・ハワードは姦通罪で捕らえられてしまいました。証言次第で、結婚は無効になるものの処刑は逃れることが出来たらしいのですが、「証拠」も提出され、「共犯者」と共に3か月後には処刑されてしまいました。
両親も裕福な貴族ではなくすでに亡くなっていました。今の10代よりは大人だったとは言え、強い後ろ盾がないまま、政争に巻き込まれてしまったのだとしか思えません。
婚姻期間:1年4ヶ月
Catherine Parr キャサリン・パー
最後の王妃、キャサリン・パーは、妻というよりは、エドワード王子やメアリ王女・エリザベス王女の教育係件ヘンリー8世の介護者でした。
宗教観で対立する一派が、キャサリン・パーの逮捕状を取り付けたこともありましたが、頭の良かったキャサリン・パーは先回りしてヘンリー8世の説得に成功し、逮捕を回避してヘンリー8世を看取りました。
婚姻期間:3年半
1番目の妃との結婚期間は24年
こうしてみてみると、ヘンリー8世は、ただ気ままに妻をとっかえひっかえし、気に入らなければ処刑した最凶最悪の王様というわけではないと思いませんか?
歴史にもしもは、ありませんが、
もし、1番目のキャサリン妃に男の子が生まれていたら、歴史は大きく変わっていたに違いありません。
Cuppa timeにお付き合いいただき、ありがとうございました。
みなさま、良い一日を!
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